臨済宗妙心寺派
寺の歴史
大安寺の歴史
貞観元年(859年)8月、南都大安寺の行教和尚が勅を奉じて、豊前の国宇佐八幡宮より山城国男山の勧請の帰途台風にあい、松前浜に船を寄せてこの地に来た。たまたま国司散位河野伊予守興村これを信仰すること厚く、別当寺を建立して南都大安寺を遷し、大伽藍を建立して大安寺と称した。
大安寺殿長山通方大居士、大雄院殿一峰定力居士の創建という。
元弘3年(1,333年)11月領主河野伊予守入道通村が堂宇を再建。寺領として12目貫文の地を寄進したという。
その後、享保年中火災にて消焼失。又文政8年4月7日にも出火して本堂・庫裏並びに古書・諸什器ことごとくが灰燼に帰した。
安政6年(1895年)6世禅規和尚のとき、3町ほど南の今の地に本堂を再建、逐次面目を改め、昭和29年10世彭宗和尚のとき本堂大修繕、道33年鐘楼を新築、平成6年戦病没者の供養塔「芳魂之塔」を建立した。
(重信町誌参考)